わたし、運動する機会が圧倒的に足りないんです。
ですが、最近知人におすすめされて、ジャザサイズに通い始めました。
まだ始めて数回なのですが、音楽好きな私としては
爆音でノリノリでダンスしながらエクササイズはなかなか楽しい!
それなのに・・この日はジャザサイズに行こうと決めていても、
当日になるとね。何かと理由をつけて行くのを辞めたくなるんです。
「今日は子どもが私と過ごしたがっているような気がする。」
なんて、なんでも理由になる。さすが運動不足。
そこで。
今読んでいるこの本がイイ感じに背中を押してくれています。
具体的にやっているのは次の通りです。
運動した私をほめる事を辞めた
わたしは運動が苦手だからこそ、運動することを特別な事だと感じています。
そのため、”今日は運動した私” を「よくやったー!」とほめていたのですが、
それを辞める事にしました。
たとえば、エクササイズをちゃんと行ったときには自分を「よし」とほめ、サボったときには「ダメ」とけなしていたりすると、今日はトレーニングに行っても、明日はサボる可能性が高くなります。
重要なプロジェクトの仕事が捗ったときは「よし」と自分をほめ、先延ばしにしてしまったときは「ダメ」とけなしているなら、午前中に仕事が捗ったら、午後はだらけてしまう可能性が高いでしょう。要するに、私たちは相反する欲求をもっている場合、よいことをすれば、ちょっとくらい悪いことをしてもいいだろうと思ってしまうわけです。
↑スタンフォードの自分を変える教室より
つまり、良い事をした!頑張った!と思えば思うほど、
ご褒美に美味しい物を与えたくなったり、次の日はサボっても悪くないだろうと思ってしまうというのです。
「明日も同じ行動をする」と考える
「ああ、今日は仕事が忙しかったから疲れちゃった、行くの辞めようかな。
その代わり、来週は1回分トレーニングの日を増やしてがんばろう!」
はい。お分かりかと思いますが、きっと来週だって仕事は忙しく私は疲れるのでしょうね。
私たちは先のことを考えるとき、きっといまと同じように雑用に追われて忙しいだろうとは思いません。そのため、今日はやりたくないことでも、あとになればきっと時間も余力もあってできるはずだと思ってしまいます。そんなわけで、当然のように後回しにして、遅れた分はあとで十分取り戻せるだろう、とのんきに構えてしまうのです。
↑スタンフォードの自分を変える教室より
もう、今日はやめとこうかな。と思ったときはこう考えます。
『きっと次も今日と同じさ。ずっとこうやって先延ばしにして、あとでツケが回ってきてもいいの?』
大事なのは、目標に相応しい自分になること
運動したことを特別に感じず、「よくやった!頑張った!」とほめず、
今日の自分は、明日の自分であることを意識する。
つまり大事なのは、
運動を続けるという目標に、相応しい自分になること
運動することを当たり前の習慣とする自分になりきる事が大事、ということです。
さあ、運動が苦手な私の試行錯誤がお判りいただけたかと思います。
この後の展開を楽しみにしていてくださいね!